それはきっと妄想

まとめるのも伝えるのも苦手な人の曖昧な記録とか

近藤晃央さん 再始動ライブ

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2018年10月、同年4月の活動休止ライブから半年。

ライブ活動の再開が発表された。

 

2019年1月、彼は何にも属さないシンガーソングライターとして、再始動した。

 

 

2019年1月6日 (日) 、場所は愛知県にある 名古屋ボトムライン

ZIP-FM presents 近藤晃央 LIVE 2019

「賢者はジャッジメントに踊りだして~第1話~」

 

 

観客で埋め尽くされ、ざわめく会場。開演時間になり、照明が落ちるとざわめきは期待を孕んだ歓声へと変わった。

まずはサポートバンドメンバー(ドラム:ターキーさん、ベース森田晃平さん、ギター:和田建一郎さん、キーボード:幡宮航太さん)が登場。

そして舞台上の主役である近藤晃央さんが登場した。「おかえり」の声が多数上がる中、会場を見渡した彼の表情は、心なしか今まででいちばん穏やかで、何かを噛みしめるようなものだったように思う。

 

 

"届け"たくて というフレーズで始まる「心情呼吸」が再始動ライブの1曲目だった。

(このあたりで先に書いておきます。鳥頭なので、セットリストはきちんと憶えていません。ごめんなさい。)

 

ライブ中は全体的に解放されたような雰囲気をまとい、今までのライブで目にしてきたギラギラとした眼差しより、瞳がキラキラとしているのが非常に印象的だった。

もちろん「理婦人ナ社会」や「クレーマー」といった曲では激しいパフォーマンス。(どの曲か忘れてしまったのだけど、)舞台から最前の柵に足をかけ、身を乗り出して煽る場面は迫力満点。

 

そしてはじめて正面で聴いた「ベッドインフレームアウト」は、指先の細やかな動きがなんとも艶っぽかった。周年ライブで聴いたときとは音の雰囲気が違ったのも新たな魅力を感じることができた気がした。

「ビビリーバー」から「存在照明」の流れでは、(待ってましたー!!!)となった。

 

新曲は、親友のことを書いた、目に目?と、恋愛における遺書のような、わたしごとき?の2曲。どちらも歌詞を読みながら改めて聴きたい。ぐさぐさひりひりしそう。

 

聴くところはしっかりと聴き、盛り上がるところはしっかり盛り上がる。演者と観客が一体となった、楽しさが溢れるライブ。

本編の最後は、全員のために歌われる「相言葉」で締めくくられた。

 

 

 と事前にTwitter上で発信していたアンコールについては、本編終了後に「足りなかったら2人しか出てこないよ!」「5分の5(全員出てくるの)目指してね!」といった冗談めかした言葉を残して舞台上から去った。

 

その後、早々に手拍子とアンコールの声が上がり、まずはドラムのターキーさんが舞台上へ。晃央さんのスタンドマイクが高くて届かないという身振りをしたのち、「足りないよ」と一言。(一瞬サポートメンバーによる大喜利が始まるのかと思ったけど、その他の方々はすーっと定位置へついていた。)

 

 アンコール1曲目は「テテ」。本編になかったからセトリ落ちしてしまったのかな、なんて思っていたらここできた。会場のボルテージは最高潮。

ご本人曰く笑顔で歌えるようになったという「涙腺」は、約1年前のライブ、分泌音のスリリングな空間で披露されたときとは違い、痛みが輝きに昇華されたのかもしれないと感じた。

 

本当の最後に、アコースティックギターの生音と、本人の歌声のみで披露されたのは「らへん」。舞台であぐらを組んで座り、マイクを介さない弾き語りで届けられた。前方の観客はしゃがみ、照明は極限まで落とされた空間。(「もっと暗くしてください。世界の終わりってくらい」という照明さんへのリクエストにも晃央さんらしさが滲んでいた。)

YOU&2で泣いて歌えなかったというこの曲を、涙を流すことなく歌い切った。

 

「ただいま」

そう言って舞台を後にした彼は、再び届ける場所へと帰ってきた。愚者として賢く在り続ける姿を、いつまでも応援していきたい。

 

(2話、3話は足を運ぶことを断念したので、行きたいけど行かない人として、大人しく心の中で応援しています。)

 

 

 

 

 

※以下 超個人的な雑感・脱線話なので、ここで読み終えてくださって構いません※

 

 

MCで触れていた"棘"について、なんとなく、嫌われ者のいじめっ子が持っているものに近いのかな、なんてことを思いました。

間違いではなく、むしろ本人の中における紛れもない正しさが、他人にとっては棘であり、毒である。相手に対する思い遣りや、他人に嫌われたくないという恐怖心から、オブラートに包んだ言葉を発する人が少なからずいる中で、ひねくれた正直者はあえてそれをしない。

確かにまるくなったというより、柔軟性が高まったという表現の方がしっくりくるな、というお話。

 

今ではもう書けない?書かない?と語ったポップな1曲で、人差し指を掲げてジャンプするという動きでイントロとサビのノリ方を統一。(各々好きなように、と言うと直立不動になって聴き入る人が多発することから、それならいっそこちらから指示を出してしまおうといったようなことで。)

ライブ慣れしていない身からすると、動きについて指示があると安堵する部分もあるのかもしれない。一体感を覚えることで楽しさが増すことも多々ある。

しかしふと我に返ったとき、盛り上がりとして、これでいいのだろうかと思ってしまったのは否めない。

 

 届けられるものと、求めるもの。重なること、離れること。繰り返し交差して、何度でも結ばれたら、といったお話。


なんというか、MCは真剣なお話は真剣に、ふざけるところは以前と変わらぬ軽妙な辛辣さでもって楽しませてもらえて、大満足でした。


欲を言えば、晃央さんの音楽が多くの人に届きますようにと、必要な人に届いてほしいと、そう思いました。





xx